読み込む原風景

有村はじめ

ダイエット


精神科で処方してもらう精神安定剤があるのですが、僕の薬は太りやすくなるものだったらしく、1年で20キロ近く増えました。もともとガリガリだったのでそこまで太っては見えないけど、自分的にはもう少し標準になりたい。

と思ったので、今年に入ってから薬を別のものに変えてもらって、ダイエットも始めました。といってもたまに歩いたり、食事の量を気持ち少なくしたくらいなんだけど、薬を変えたのがよかったみたいで3か月で5キロくらい痩せました。

あと10キロくらい痩せたい。べつに痩せたからって、ちょっと健康になれるくらいなんですが、ダイエットはゲームみたいで楽しいです。今は停滞期に入っているらしく(体重の5パーセント痩せたら脳が危機を感じて現状維持させようと働くらしく、ちょうど5パーセントくらい痩せました)、今月に入って1キロしか痩せてない。

もう少しすれば停滞期も抜けると思うし、歩く距離をできるだけ増やして、糖質とカロリーをストレスない範囲で減らして、18時以降は食べないでおこうと思います。今年中にどれだけ痩せられるんだろうか。。。

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定期的に死にたいと思うのですが、どうせ死ぬなら痩せてから死にたい。できれば死ななくてすむようになりたいけど。死ぬ前に、自分でこれは100点だと納得できる、誰のどの絵よりも、ゴッホよりもパブロ・ピカソよりも優れている絵を描きたい。絶対描く。100パーセント描く。確実に描くぜ。

余談ですが、人間は死を意識するとパフォーマンスが上がるらしいです。僕はそれを知ってるから無意識に死にたいとか思ってるだけで本当は死にたくないのかもしれない。。。

憂鬱がつきまとう


昨日から憂鬱だ。先月の月末もそうだった。今年から花粉症デビューも果たしたし、疲労なのか目も痛い。というかいつも影みたいに憂鬱は俺にくっついている。憂鬱と俺は愛しあった恋人のように固く結ばれている。憂鬱とは離婚したい。

この憂鬱は後天的に身についたものなのかと思ったけど、思えば子供の頃から学校も先生も親もルールもマナーも常識も嫌いだったし、社会不適合は生まれつき決定づけられていたような気がする。学校なんていきたくなかった。かといって休んで家にいると、なぜかそれはそれで憂鬱で、どうすれば憂鬱を晴らせるのかいまだによくわからない。中学生の頃、3年間のうち半分くらいはさぼって古本屋とか散歩とかしてた(学校に通ううちの半分くらいは遅刻)んだけど、自室のベッドに横になったらとても寂しくなった記憶がある。寂しすぎて放課後学校にいって部活してるやつらを眺めていた。

tsutayaさんで、kohhの新アルバムと、ストーンローゼスと、ヴェルベットアンダーグラウンドと、メタリカのアルバムを借りてきた。レンタル久しぶりだ。最近、バイト(不定期)が多いので、お金を使ってやろうという気持ちになる。コンビニでスイーツまで買ってしまった。そんなもの食べなくたって死なないのに。

絵の構想が固まった。あとは描くだけ。タイトルは『oasis』。もちろんバンドからとっている。けど憂鬱なので描く気になれない。なにもしたくない。けどなにもしないのも退屈で死にそう。ウイスキーを飲む。まずい。

性格診断で「今現在、本当の自分からかけ離れていると思いますか?」みたいな質問がある。昔はその意味が分からなかったけど、ここでいう本当の自分とは、理想の自分のことを言うんだと気が付いた。今現在、自分は理想の自分からかけ離れている気もするけど、なるべくしてこうなっている気もする。お金持ちになりたい。パーマかけたい。服買いたい。けど面倒なので買わない。

最近、ネットで怖い話ばかり読んでいたので、暗闇が怖い。昔、心霊スポットにいって写真を撮ろうと思ったらなぜかiphoneがインカメラ(?)になっていて、自分の顔が暗闇に写ってけっこうびっくりした記憶がある。どうでもいいんだけど。

なんか文章書いたら少しだけ気が紛れてきた。一時的なはなしだとおもうけど。

なかった


金沢市はたぶん田舎だと思います。
今日は街(金沢の中心街)を散歩してきました。写真でも撮ればよかった。天気がよくて、人はたくさんいて、けっこう楽しかった。

 

アートとは、新しい美の概念を創作すること。歌川広重が『大はしあたけの夕立』で、棒線を用いて雨を表現したように。ウォーホルが大衆的なキャンベルスープ缶で絵画を完成させたように。

俺にはなにができるだろうか・・・。

個人的なポエムや、自己表現から抜け出したい。奈良美智さんの、奈良さんにしか描けない今までに存在しなかった絵画みたいに、俺にしか描けない、今までになかった絵画を描けるようになりたい。

 

描けん


弓指寛治さんの個展、「ダイナマイトトラベラー」を観に行きたかった。最近は、人の絵を観てもなにも感じなくなってしまったんだけど、久しぶりに心からいいなあと思えた。もっと前から知ってれば観に行ってたかもしれないのに。

ビールは冷えてるより、生ぬるいほうが好きだな~ どうでもいいけど

絵が描けない。俺はなにを描けばいいんだろう。ずっと悩む。思いつくどのアイデアもまるでつまらない気がしてしまう。妥協して描いてもいいのかもしれないけど、それだと描く気になれない。考えすぎなのかもしれない。

すぐに物事の意味を考えてしまう癖がある。生きていることに意味はあるのか、この行為に意味はあるのか、この絵を描くことに意味はあるのか。意味のあることなんてほとんどないんだけど。なにか必然性がないと納得できない性分なんだと思う。

ただ可愛いだけの絵や綺麗なだけの絵もそれはそれでいいんだけど、そうじゃなくて意味のある絵が描きたい。と思ってしまう。迷路に迷いこんだような感覚にずっと囚われている。


掃除機、描けない、アート


掃除機が壊れてしまった。猫を飼っていると毎日掃除する必要があって、掃除機がないのは死活問題です。困った。とりあえずamazonで適当に注文。

昨日は良いことと、それを覆す悪いことがあった。でも何事も経験なのかなと飲み込むことにした。美術館にも行った。自分の住んでいる金沢市は田舎なので、いい展示に巡り合う機会が少ないんだけど、昨日の展示はよかった。刺激をもらえました。

もう2週間くらい絵を描いてない。何を描けばいいのかわからない。今の気分的に、何を描いてもつまらないものに思えてしまう。朝、うとうとした意識で、もうモチーフを何も描かない背景の色だけの絵を描いてしまえばいいんじゃないかとすら思ったけど、冷静になればそれもなんだかなあ~と思えてくる。

こんなネガティブな気持ちが続いてるとき、どんな絵を想像してもつまらなくて描くにあたいしないと思えてくる。なにか描かなければという焦りはあるんだけどもどかしい。

現代アートとは、新しい美の概念を生み出すことで、つまり新規性のことを言うらしい。今までほとんど理解していなかった。だから葛飾北斎の波の表現はそれまでになかったものなので素晴らしい。ピカソキュビズムも新規性。

僕にもなにか新しいものがつくれたら、観る人に今までに遭遇したことのないインパクトを与えて、なにかしら心に残せたらいいなと夢想する。絵が描けない一番の理由は理想が高いことなんだろうな。。。